2007年12月27日 (木)

私の「今年の漢字」~「力愛不二」の教えとともに~

12月12日に、財団法人日本漢字能力検定協会は、2007年の「今年の漢字」を「偽」と発表しました。「何を信じたら良いのか、わからなくなった一年」との趣旨だそうです。協会では、1995年より毎年、その年を表す漢字一字を募集し世相漢字を決定しています。揮毫された京都の清水寺の森清範貫主は、「こういう字が選ばれるのは恥ずかしい。己の利ばかりを望む人が増えている。」と話されたという。ちなみに、昨年は「命」でした。

「何を信じたら良いのか、わからなくなった」ことは沢山ありますが、やはり政治について、その感想をお持ちの方が多いのではないでしょうか。昨年は、地方の首長の不祥事が相次いだのですが、今年は、国政で、信じられないような出来事が続いています。数え上げればきりがないのですが、最近、最も憤慨に堪えないのは、「宙に浮いた年金記録」に関する公約についての総理大臣や厚生労働大臣など閣僚の無責任極まりない発言の数々です。先の参議院選挙の際には「最後のお一人まですべての記録をチェックして、年金を払う」などの発言を当時の安倍総裁は繰り返し行っていました。その参議院選挙の際に掲げられた「『美しい国、日本』に向けた155の約束」と題された自民党のマニフェストの中にも、次の通り書かれています。

060. 社会保険庁解体の断行と年金記録問題への徹底対応
政府が管理する年金記録のうち、基礎年金番号に統合されていない約5,000万口については、1年以内にすべての名寄せを完了するなど、直ちに徹底的に精査をする。また、全国民が本来受け取ることができる年金を全額間違いなく受け取れるようにするため、5年の時効を超えた場合でも受給可能とし、これにより年金の確実な給付を行う。

さらに、福田内閣では、舛添厚生労働大臣が「3月までには名寄せを完了する」と公言し、国民の誰もが、3月までには年金が戻ってくるとの認識を植えつけられてきたのです。政治家である私も、「やればできるものだ」と半ば感心していたくらいでした。

ところが、その年金記録の特定ができないことが明らかになった時に、福田首相のコメントは、

 「公約違反というほどのおおげさなものなのかどうかね、と思いますけどね」

さらに、この言い訳として、

 「公約でどういうふうに言ったか、頭にさっと浮かばなかったから」

これは、どうかしています。こういう「開き直り」とも受け取れる無責任さは、許しがたいことです。
私はマニフェストによって、「有権者との約束」による政治、責任ある政治への改革を目指してきました。こういう政治家の無責任をはびこらせないために、マニフェストはあるのです。「どういうふうに言ったか」ではなく、きちんと自民党のマニフェストにはっきりと「文章」で書いてあるのです。
しかも、「年金問題」は有権者の最大・最重要な政策課題です。どう書いてあったか、選挙時にどのように約束してきたか、記憶にないようでは、首相が務まるはずはありません。
私は、政治家として、これらの一連の閣僚の発言は、聞き捨てならないし、恥ずかしさすら覚えます。

その福田首相の「今年の漢字」は、「信」だといいます。「信じるの信。信頼、信義ね」と12月11日に、記者にコメントしたそうです。もう一度、ご自身の発言を振り返り、「信」の一字をよく見直してもらいたいと思います。

少し「劣化した国政」についての悲憤が長くなってしまいましたが、気を取り直して、私の「今年の漢字」を発表します。

「力」(りょく、りき、ちから)

を選びました。

今年は、まず、2期目の選挙があり、マニフェスト2007「神奈川力全開宣言」を掲げて戦いました。マニフェストの中で、「神奈川力」は「先進力」と「協働力」と位置づけました。そして、有権者の皆様のご判断と「力」によって、200万票を超えるご支持をいただき、当選を果たすことができました。そして、今年は箱根開発の歴史をまとめた『破天荒力』(はてんこうりょく)という本も出版しました。
まさに、「力」に始まり「力」に終わる一年と言ってもいいと思います。
 
私が以前から敬愛している少林寺拳法の教えの中に「力愛不二」(りきあいふに)という言葉があります。力の無い愛は無力であり、愛のない力は暴力に過ぎません。そこで「力と愛、理知と慈悲を調和・統一させ、これを行動の規範として、自己の人生を安心で幸福なものとすると共に、社会の平和と福祉のために積極的に貢献していかねばならない」というのが少林寺拳法の重要な行動原理なのです。

このことは政治の世界でも通用します。数や力だけに頼った政治は、時に暴力となるでしょう。しかも、国民・県民の痛みを自らの痛みとして、おもんぱかれる心なくしては、いかに力を持った政治家であっても、それは「暴政」「圧政」になる危険性もあるのです。
同時に、政治が「信」を失っていないか、「愛」を忘れていないか、それを厳しく判断し、政治を変える「力」は、有権者のみが持っているということも忘れてはならないと思います。
 
来年に向けては、政治家が自戒して責任ある政治を執り行うことに期待したいと思います。同時に、有権者の皆様の見識ある「力」の奮起にも期待しております。

どうぞ、皆様、よいお年をお迎えください。

12月 27, 2007 あいさつ, 政治改革 | | コメント (444)

2007年9月18日 (火)

「相撲道」から学ぶ責任と倫理

9月3日の朝、移動知事室の一環で、川崎市にある神奈川県内唯一の相撲部屋である「春日山部屋」を訪問しました。相撲部屋にうかがったのは初めてのことでした。土俵のある稽古場には、張り詰めた空気が漂っていて、謹厳な気持ちになります。目の前で力士の皆さんの真剣な稽古を拝見ましたが、鍛え上げた肉体同士がぶつかり合う時には、重たい音が腹に響いてきて、圧倒される思いでした。

神奈川県の高校で相撲部があるのは6校、中学では川崎市内の7校です。国技である相撲をより一層振興する必要を感じていました。私は、マニフェストにスポーツの振興や部活動の活性化を掲げています。今回は、プロの力士の皆さんにも県内の学校や地域に出掛けていただき、子どもたちの指導をお願いしたいと申し上げに行ったのです。

そうしたお願いをしたところ、親方から「ぜひ知事も稽古を体験してみてはどうか」とお勧めをいただき、私も実際にまわしを締めて、ぶつかり稽古に挑戦することになったのです。幕内の春日王関に特別に胸を貸していただき、二番稽古を体験しました。春日王関は、韓国出身で身長184cm・体重154kg。私は「突進力」には自信があるのですが、正直言って「巌(いわお)にぶつかっている」という感じで、びくともしませんでした。部屋を訪問する政治家は数多いそうですが、実際に稽古を体験したのは私が初めてとのことです。
その後、ちゃんこをいただきながら、相撲道のあり方や若手力士の育成のご苦労などをうかがいました。

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<力の入ったぶつかり稽古>

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<礼に始まり、礼に終わる>

相撲は日本の国技であり、単なるスポーツではなく神事としての歴史もあり、また日本古来の武術でもあります。「相撲道」といわれるように、「心・技・体」のすべてを磨き上げていく修養の道です。私は、“私”を薄くして、“公”のために尽くす志を「サムライ・スピリッツ」と呼んでいますが、相撲道の精神に通じるものがあると感じました。

大相撲の最高位が「横綱」であり、角界の頂点です。横綱には、重い責任と高い倫理観が求められます。それに伴う精神的な重圧は、常人には計り知れぬものではないかと思います。そうした重責に耐え抜く精神を練磨することは並大抵のことではないでしょう。今回の訪問で、その厳しい鍛錬の一端を垣間見たような気がします。

さて、どの組織のトップにも、責任と倫理観は重要です。9月12日に、安倍総理大臣が、突然、辞意を表明されるという出来事がありました。政治家にとって出処進退は最高の政治倫理であります。しかし、今回の安倍総理の辞任には、そうした倫理観が見えないと感じています。辞任を発表された際の記者会見でも、辞任の理由などについての説明責任が十分に果たされているとは思えません。もちろん、国政のリーダーとしての重圧は相当なものであることは理解できます。しかし、だからこそ精神も肉体も鍛え抜き、国民のために尽くしきるという不退転の決意が求められるのです。

仏法のために命を惜しまず捧げるという「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」という言葉は、第65代横綱である貴乃花関が、横綱推挙の伝達式において、「相撲道に不惜身命を貫きます。」と口上述べたことで知られています。

また、坂本竜馬の「船中八策」にある「万機宜シク公議ニ決スベキ事」、あるいは「五箇条の御誓文」の「万機公論ニ決スヘシ」にあるように、政治家は、開かれた場で正々堂々と議論し、国民に対して納得のいく説明をしていく責務があるのです。そうした点から、今回の辞任は、国民が注視していた国会での代表質問の直前であり、まことに残念であったと言わざるを得ません。

対外的にも、また、国内においても政治課題が山積する中、一刻も早く、政治が正常に機能することを望んでやみません。同時に、このたびの出来事を他山の石として、私自身、不惜身命の精神で政治改革、政策実行にまい進していきたいと気持ちを引き締めています。

9月 18, 2007 スポーツ, 政治改革 | | コメント (146)

2007年7月 5日 (木)

民主主義の「花」開け~マニフェスト外交の目指すところ~

神奈川県庁の正面玄関の植え込みのムクゲ(木槿)が間もなく花を咲かせます。この木は、1990年に友好提携先である韓国の京畿道知事からお贈りいただいたものです。
ムクゲは韓国の国花で、韓国語では「無窮花」と呼ばれるそうですが、これはひとつひとつの花は1日でしぼむのですが、毎日新たな花が咲き続けることに由来しているということです。

6月上旬に、韓国を訪問してきました。羽田空港から金浦空港へ約2時間のフライトでした。今回は、昨年の2月に続いてマニフェストによる政策中心の選挙改革に関する学術大会にお招きをいただいたものです。到着した夜には京畿道の金文洙(キム ムンス)知事と会談、翌朝には孫鶴圭(ソン ハッキュ)前京畿道知事との会談、その午後には学術大会での基調講演や討論への参加、地元メディアのインタビュー、さらに林采正(イム チェジョン)国会議長の主催による晩餐会と分刻みの日程でしたが、実に充実した意見交換ができ、マニフェストに関する日韓交流を深めることができました。

今回の学術大会で驚いたことは、「中央選挙管理委員会」が会議の主催団体となっていたことです。昨年2月に民間サイドでマニフェスト推進本部が創設されマニフェスト選挙の推進がスタートしたのですが、5月の地方選挙に向けては、中央選挙管理委員会がマニフェスト選挙の実現に向けて研修会を開催するなど大変に積極的な役割を担ったとうかがいました。今年は、12月の大統領選挙に向けてさらにマニフェストを浸透させるために中央選挙管理委員会が主導的な役割を果たしているのです。これは中央選挙管理委員会が、マニフェストによって政策中心のより公正な選挙を実現できると考えているからだとうかがいました。日本の選挙管理委員会にも、韓国の中央選挙管理委員会の実践をぜひとも見習っていただきたいと思いました。

最終日は、韓国で最先端といわれる京畿道の英語教育施設「坡州京畿英語村」や、韓国のハリウッドを目指している「韓流WOOD(ハンリュウウッド)」予定地、韓国国際展示場などを視察させていただきました。英語村は、生きた英語教育のためのテーマパークで、レストランや本屋さん、市役所や博物館などが造られ、村内では英語しか使えません。子どもたちがネイティブスピーカーと自然にやり取りしているのには目を見張りました。

また、今回は北朝鮮を望む「烏頭山統一展望台」を訪れ、南北分断の現実を目の当たりにしました。延々と鉄条網が張り巡らされ監視所が点在するイムジンガン(臨津江)やハンガン(漢江)を隔てて、もともとはひとつの国の間に厚い壁が存在することを実感しました。折りしも、カモメが南から北へゆうゆうと飛び渡っていきました。鳥には国境が無いのに、人間には厚い壁が立ちはだかっているのです。これも、政治の課題です。この「統一展望台」で、韓国の人々は祖国統一を祈るのだといいます。政治は人々の思いを実現し、自由と幸福を追求するためにあります。一日も早く、かつ平和的に南北が統一へと向かうことを政治家の一人として祈りたいと思います。

昨年から始まったマニフェスト日韓交流ですが、日本から同行してくれた訪問団は、昨年はNPOメンバー、研究者、議員、自治体職員等13名でありましたが、今回は3倍近い30名を数えました。また、昨年来、多くの自治体関係者や議員などの訪問団・研修団が韓国から日本へも来ていただいています。
これからも、選挙の改革や民主主義の発展を目指して、日韓双方で学びあい、いい意味での競い合いもしていければと期待しています。さらに、両国での実践を踏まえて、マニフェスト外交の流れがアジア諸国などへと波及していけるのではないかと思っています。

まさにムクゲの花のように、次から次へと民主主義の花が世界各地で咲き続けるように、韓国や日本の皆さんとともに力を合わせ、私もその一助になりたいと願っています。

7月 5, 2007 国際・外交, 政治改革 | | コメント (24)

2007年4月10日 (火)

「神奈川力」=「先進力」+「協働力」

4月8日の知事選挙において、県民の皆様にご信任をいただき、2期目の「マニフェスト改革」をスタートすることとなりました。
今回は、「マニフェスト2007 神奈川力全開宣言」を掲げ、政策一本勝負の選挙を展開しました。「神奈川の力」とは「先進力」と「協働力」にあり、この「神奈川力」で日本を動かしていくことを基本理念に据え、37の政策と11の先進条例を掲げました。提示した目標97本のうち数値目標は76本で、数値目標率78.4%に上ります。
このマニフェストが、私と県民の皆様との「約束」として信任をいただいたわけです。

今回のマニフェストづくりでは、特に、県民の皆様との「対話」と「参加」を重視しました。これまでも「現地現場主義」を実践し、県民生活の現場から課題を発見してきました。今回のマニフェスト作成にあたり、改めて「マニフェスト県民討論フォーラム」の開催やインターネットなどでの政策提案募集を行いました。その結果、58の県民や団体の皆様から123件のご提案をいただきました。このうち85件、約70%は何らかの形でマニフェストに反映しました。

「先進条例マニフェスト」は、全国初のチャレンジであります。今後、議会において大いに政策論議を重ね、議会と知事の共同作品として、最先端の政策条例を神奈川から全国に発信していきたいと思っています。

今回のマニフェストでは、政策中心の県政運営を重視し、新たに「部局長マニフェスト」を導入し、県庁が一丸となって改革に取り組む方針も盛り込んでいます。「県民とともに働く職員」の育成も新たな県庁づくりの方策です。

道州制の提案、首都圏連合の実現や都市内分権の推進などに強力に進めていきます。また、公共サービスを行政のみが担うのではなく県民の皆様やNPOなどとともに担う「協働型社会」を目指すことも明確に示しています。さらに、自治体外交を展開し、「世界のために貢献する神奈川県」という方向も打ち出しました。

今回の統一地方選挙では、ほとんどの首長候補がマニフェストを掲げたと聞いています。4年前に始まった「マニフェスト改革」が、いまや燎原(りょうげん)の火のごとく、全国に拡大し、定着してきたわけです。
私は、マニフェストによって、いよいよ政策中心・住民本位の改革に取り組む「改革派自治体」の大連合が生まれ、新たな分権型国家と協働型社会の形成を目指す時代がやってきたと思います。今後、日本の真の構造改革に向けて、多くの改革派自治体の皆さんに「改革派自治体連合の時代」を提唱していきたいと考えています。

そこで、まずは、神奈川から「歴史に残る仕事」を創り出していきたいと思います。県民の皆様、職員の皆さん、議員の皆様とともに、日本の歴史に残る仕事を一緒に創り出し、実現していきたいと願っています。ともに神奈川から日本を動かし、世界に向けて発信していきましょう。
  
We can create the future!
Let’s create the future together!

4月 10, 2007 政治改革 | | コメント (150)

2006年12月25日 (月)

首長多選禁止の条例化を~責任ある自治体として~

去る12月17日に、神奈川新聞に首長の多選禁止に関する投稿をさせていただきました。(下記をご参照ください。)

これに対して「議会軽視」との批判がありましたが、条例案を提案した後に、それについての発言を議会以外の場所で一切してはいけないというようなルールはどこにもありません。新聞投稿あるいは記者会見で、自分の考えを述べることは言論の自由ですから、自由に行ってよく、全く問題ないと考えています。
特に、首長の多選禁止は大きな議論でありますから、県民の皆さんにも広く開かれた形で議論する方が望ましいし、民主政治の発展につながると思っています。

今回、県議会12月定例会に、知事は連続3期を超えて在任できないとする多選禁止条例を提案しました。 
しかし、12月21日の本会議で、賛成は、民主党・かながわクラブ、神奈川ネットワーク運動、市民の党、社会民主党の皆様。
反対は、自民党、県政21・県民の会、公明党、共産党、山百合クラブの皆様。
結果として、反対多数で、多選禁止条例は否決されてしまいました。

議員の皆様からの質問には、私や県の担当者は十分に説明してきましたが、県政の信頼回復の一歩と位置づけた条例案に理解を得られなかったのは、大変に残念です。自治体に対する厳しい世論に責任を感じざるを得ません。

改革のフロントランナーにとってハードルは高いというのは世の常です
多選禁止条例は、神奈川県議会では今回は否決されてしまいましたが、神奈川県の条例提案の動きがリードする形になって、他の先進的な自治体で、多選禁止条例が議論されたり、提起されようという動きが出てきました。全国知事会でも議論を継続していくことになりました。
そういう意味では、新しい地方政治改革の扉を開いた重要な挑戦となったと思います。今後、日本各地の先進的な自治体がこうした挑戦をしてくれることを確信しています。そうした中で、いい改革が生まれ、自治体全体の信頼回復につながっていけばと切に願っています。

首長の多選制限は、「政治浄化」の入口に過ぎません。このほか入札改革や不当な「口利き」の防止、コンプライアンスの確立、選挙制度改革など、さまざまな仕組みが必要となります。

こうした取組みを、首長と議会という地方の代表機関が、しっかり主導権をとって実行しなければなりません。つまり、国への「お任せ」では実効性が保証できません。首長と議員が自らの血を流してでも「政治浄化」の大鉈(おおなた)を振るう責任があるのです。それが、有権者の信頼を回復する唯一の道だと思います。

【12月17日 神奈川新聞への投稿記事】
首長多選禁止の条例化を
 
 最近、入札汚職や裏金問題など知事の不祥事が相次いでいる。知事のひとりとして憤りを感じるし、厳しく自戒し、不正防止に取り組まねばならないと考えている。
そのためにも、首長の多選制限を制度化すべきである。もちろん首長の不祥事の原因は多選だけではないが、首長にはさまざまな権限が集中しているから、多選になると独善的な組織運営、人事の偏向、議会との癒着などの弊害が生じやすくなる。その結果、不祥事も生まれやすい。
首長の多選を制限し、「権力の時間的分権」を図る必要があることから、私は先日、県議会に対して知事は連続三期を超えて在任できないとする「知事の在任の期数に関する条例」を提案した。多選禁止条例の提案は全国でも初めてで、現在、県議会で真摯(しんし)な議論が行われている。
ところが、総務省は、公職選挙法などの現行法の下では、首長の多選禁止条例は違法だという解釈を示している。しかし最高裁の判例では、法律と条例が異なる規定をしている場合であっても、法律の目的と効果を阻害しないときは、法律に反しないと解されている。多選禁止条例は、多選の弊害防止という目的だから、選挙の公正かつ適正な実施という公選法の目的・効果を阻害するものでもなく、同法には反しないと考えられる。
特に、首長の選任は自治の根幹をなす手続だから、憲法の「地方自治の本旨」や二〇〇〇年の分権改革の理念からも、公選法が条例による独自制限を一切認めない画一的な法律と解することは妥当でない。条例が適法かどうかは制定権を持つ自治体が判断し、最終的には裁判所が判定すべきものである。
国は、そもそもこのような疑義が生じないよう法律を改正して、条例で多選制限ができるように明記すべきである。仮にそれが難しい場合は、条例制定は各自治体の判断に任せるべきだ。
一方、自治体は、多選禁止の必要性を主体的に検討し、必要であれば条例を制定すべきである。自治の根幹である首長の多選制限を国に「お任せ」では地方分権など勝ち取ることはできない。自治体の信頼回復のためにも首長の多選制限という地方政治改革を実現していきたい。

12月 25, 2006 政治改革 | | コメント (34)

2006年12月20日 (水)

あなたにとって「今年の漢字」は?~信なくば立たず~

12月12日、財団法人日本漢字能力検定協会から恒例の「今年の漢字」が「命」と発表されました。選定の理由は、「ひとつしかない命の重み、大切さを痛感した年」とのことです。協会では、1995年より毎年、その年を表す漢字一字を募集し世相漢字を決定しています。今年も、京都の清水寺の貫主様が、堂々たる文字で揮毫されていました。ちなみに、昨年は「愛」でした。

昨年の私の「漢字」は、「現」としました。「現地現場主義」の「現」からとったのです。平成17年4月から始めた「ウイークリー知事現場訪問」は、昨年12月時点で35回でありました。
これが今年12月には、ウイークリー知事現場訪問は、通算79回・107カ所となり、平成18年1月から始めた「マンスリー知事学校訪問」は、通算20回・23カ所を訪ねてきました。それぞれの現場に直接触れ、さまざまな課題に直面している人々の意見をうかがい、解決に向けた「生きた政策」づくりに取り組んできました。

そこで、私の「今年の漢字」ですが、

「信」

とします。

今年は、私としては「目標達成の年」と位置づけ、政策や改革の実現に向けて努力してまいりました。地方分権やマニフェストによる政策中心の政治改革にも取り組んできました。

ところが、世間では、「信頼」が揺らぐ出来事ばかりが頻発しました。

まず、年の初めからライブドア前社長の堀江貴文被告や村上ファンド前代表の村上世彰被告らの不正により、市場への「信頼」が損なわれました。これに関連して福井俊彦日銀総裁の投資問題で日銀への「信頼」も揺らぎました。

さらに秋以降は、官製談合などの知事や市長などの不正により、自治体に対する「信頼」が大きくそこなわれてしまいました。
この結果、全国知事会議では安倍総理から「知事自身が民意に背き、地方自治への熱意や志を捨ててしまったのではないか」との批判を受け、さらに国によって自治体の不祥事防止のためのルールを定めようという、「上からの規制」が検討される機運まで生まれてきてしまいました。
1970年代の「地方の時代」以降、営々と築いてきた地方分権の流れに、水を差す深刻な事態となっているのです。

私は自治体の長として、こうした事態を深く憂慮し、何としても自治体の「信頼回復」に全力を挙げなければなりません。
こうした決意を込めて、「信」という文字を胸に刻みたいと思います。

「信なくば立たず」

「政治が国民から信頼されなくなったら国家は終わりである」という政治の基本を表す孔子の言葉です。

現在開会中の県議会12月定例会に、知事の多選「禁止」条例を提案いたしました。これも首長としてできる「信頼」の確保をルール化するという意味があります。
私は、かねてから政治腐敗のひとつの原因にもなる知事の多選を防ぐ必要があると主張してきました。
ちょうど一年前、県議会12月定例会に、知事の多選「自粛」のための条例案を提出したのですが、残念なことに、議会ではご理解をいただけず、否決という結果となってしまいました。今回は、昨今の社会情勢や県民の皆様のご意見にも配慮し、改めて、恒久的な多選「禁止」条例を提案したのです。

自治体が自らの責任で信頼回復を図れるよう、全力を傾けていきたいと思います。引き続き不正根絶や政治浄化のために何ができるのか、さまざまな方策を打ち出してまいります。

今年もまもなく暮れますが、皆様にとってどのような一年だったでしょうか?
皆様にとって「今年の漢字」は何でしょうか?

財団法人日本漢字能力検定協会HP:http://www.kanken.or.jp/index.html

12月 20, 2006 政治改革 | | コメント (28)

2006年6月23日 (金)

『現地現場主義-対話から政策へ-』

知事就任からまる3年が過ぎ、約1000日を経過しました。この間、「現地現場主義」を掲げ、とにかく県政の現場を訪れよう、現地で直接県民の皆さんと「ひざ詰」で対話・意見交換しようと、県内くまなく足を運んできました。

この3年間、私を運んでくれた公用車の走行距離は約13万kmにもなりました。地球を一周の距離が4万kmといいますから、地球3周を超える距離を走破したことになります。まさに「激走」です。

これまでもこのブログでも紹介してきましたが、「現地現場主義」の象徴的なプロジェクトとして、1年目からの「知事と語ろう!神奈川ふれあいミーティング」に始まり、2年目からは「移動知事室」、そして3年目からは「ウイークリー知事現場訪問」や「マンスリー知事学校訪問」を展開してきました。こうした現場訪問の実践は、平成17年度の「ウイークリー知事現場訪問」だけでも、44回、64カ所に及びました。

私は、県政における「現地現場主義」のポイントは、現場での県民の皆さんとの対話から政策の素を汲み取り、地に足のついた政策を組み上げることだと考えています。現場から戻った後に、担当セクションに対して具体的な対応を指示したり、現場から学んで新たに打ち出した施策・政策なども沢山あります。現場での声を聞きっぱなしにしないで、「対話から政策へ」という実践が大事なのです。

このたび『知事激走13万km! 現地現場主義-対話から政策へ-』(発行:ぎょうせい)を出版しました。本書には、平成17年度のすべての訪問記録を収録しました。現場の雰囲気を感じていただくために、多くの写真を入れて、対話や意見交換の模様もできるだけ掲載しました。現場の皆さんの「生の声」をお伝えしたかったからです。ぜひともお近くの書店でお求めいただき、ご一読いただければ幸いです。

この本を作りながら、改めて現場でお目にかかった皆さんの「顔」や「まなざし」、厳しい「言葉」や熱い「思い」をひとつひとつ思い返していました。私にとっては、そうした出会いのひとつひとつが知事として仕事をする「糧」であり、「励み」であり、「叱咤」であります。

「知事と語ろう!神奈川ふれあいミーティング」は4巡目、「移動知事室」も3巡目、「ウイークリー知事現場訪問」も2巡目に入りました。「マンスリー知事学校訪問」も精力的に進めています。
今年も、私はできる限り皆さんの身近に出掛けて行きます。私もアンテナを張りめぐらせて、訪問先を探していますが、訪問すべき現場を皆さんからもどしどしお知らせいただければ幸いです。

6月 23, 2006 政治改革 | | コメント (213) |

2006年1月13日 (金)

知事多選制限の条例化を!

知事という職には、県行政の幅広い事務に関する権限が集中しています。そして、地方分権の進展に伴い、その権限・責任が増大していく傾向にあります。こうした知事の職に、一人の者が長期にわたり就くことにより、①政治が独裁化する、②人事が偏向(側近政治化)する、③利益団体等との癒着(ゆちゃく)が始まる、その結果、行政が停滞するなど様々な弊害が生じるおそれがあることが指摘されています。そのため、国会においても、過去3回、議員提案の多選禁止法案が提出され、また、特別委員会などの場でも様々な議論が行われてきました。

しかし、憲法や公職選挙法などの現行の法体系の中で、知事や市町村長の多選を条例で禁止することはできないというのが、国の見解です。
このため、近年では、埼玉県や川崎市のように、知事や市長が「多選しないように努める」という努力義務を定めた「多選自粛条例」を制定する自治体がいくつか現れてきました。

このような状況を踏まえて、神奈川県においても、知事の多選による弊害を防ぎ、清新で活力のある県政を確保するために、昨年の県議会12月定例会に、現在の知事である私一代限りに適用される形で(次の知事は拘束せず、改めてご自身で判断いただく)、多選自粛型条例として、「神奈川県知事の在任の期数に関する条例案」を提案しました。その内容は、神奈川県知事は3期を超えて在任しないように努めるという努力義務を課すというものでした。

しかし、条例案の趣旨をご理解いただくことができず、賛成少数で否決という結果となりました。主な理由は、今回提出した条例案は、「松沢知事一代に適用するならば、わざわざ条例にする必要はない」「自らが腐敗しそうだと感じた時点で身を引けばよいことだ」「これは松沢のパフォーマンスに過ぎない」という意見でした。

私は、まず、自分自身の政治信念を条例という形で具体化し、政治家が自らを戒める姿勢を明らかにすることによって、この問題への関心を呼び起こし、やがて、誰が知事になっても3期までという「制度」につなげていきたいと考えたのです。そして、その「第一歩」として、私自身を対象とする条例案を提案したのです。こうした私の考え方が理解いただけなかったことは、大変に残念でした。

権力は常に腐敗を伴う。従って、民主政治を実現するためには、政治のシステムの中に、それを防止する仕組みを組み込まなければならない。強大な権力を持つ知事や首相などの「多選制限」の制度化は、私の政治家としての信念といってもいいものです。

ひとつのエピソードを紹介します。

私が神奈川県議会議員の時代、平成元年12月のことです。当時は、長洲県政の4期目の終盤、長洲知事が5期目に挑戦するかどうかという時でした。共産党以外はオール長洲与党でしたから、多くの議員は「5期目は長いのでは」と思いながらも、「本人がやると言っているなら、与党だから応援しよう」というのが大勢だったのです。
私は、その時、無礼をかえりみず、本会議の論戦で、多選制限の制度化について、その必要性を勇気をもって訴えました。

長洲知事は、私も尊敬する素晴らしい名知事でありました。
しかし、長洲知事のような素晴らしい首長であっても、同じ人が4期目、5期目となってきたときには、どうしても行政が停滞し、様々な弊害が生まれてしまう。だから、「絶対に多選は駄目だ」という論陣を張って頑張ったのです。

ですから、知事選に出馬した際にも、マニフェストの中に、しっかりと「多選制限」を制度化することを、真っ先に盛り込みました。今回の条例提案は、パフォーマンスどころか、健全な民主政治を実現するための手段であり、それを目指す私の政治理念から生まれたものなのです。

「強い権力」を長年にわたって同じ人が独占する時、政治や行政は停滞します。選挙は、有権者に「選択」を与える機会ですが、どうしても権力を持つ現職知事が出馬するとなると、連続当選する傾向があります。連続当選したとしても、任期制限を設け、権力が健全に「交代」をして、新たな候補者によって、清新な風が政治に吹き込まれることが必要なのです。このような意味でも、多選制限は、民主政治を健全に機能させるために、不可欠の仕組みだと考えます。健全な民主政治の実現を願うならば、多選制限は必要な制度だと思います。

長期政権には、「既得権益」が付き物です。権力が長期化すると必ず腐敗します。多選を防ぐことは、こうした「既得権益」の一掃にもつながるのです。「腐敗政治」のひとつの温床となる長期政権、知事などの多選を制限することは、最終的には「有権者」である県民の利益につながることを皆さんにはご理解いただきたいと思います。

今回の私自身の多選自粛条例は成立しませんでしたが、今後も多選制限の条例化を目指して挑戦を続けます。皆さんのご支援をよろしくお願いします。

なお、この多選制限に関する私の考え方は、1990年3月の『中央公論』でも述べていますので、そちらもご覧ください。(下記のURL)

松沢しげふみ公式サイト: http://www.matsuzawa.com/write/tasen.html

1月 13, 2006 政治改革 | | コメント (82) |

2005年12月 9日 (金)

「サライ」に思う~寄付文化~

こう見えても、私は「結構歌がうまい」とひそかに自分では思っています。(ひそかでもないか・・・)カラオケも好きです、というより好きでした。なぜなら最近は忙しすぎて、行く機会がほとんどないからです。
「得意な歌、持ち歌は?」と聞かれると、いくつかあるのですが、その一つに「サライ」があります。神奈川県の湘南にゆかりの弾厚作さん(加山雄三さん)の作曲で、平成4年に、日本テレビのチャリティ番組「24時間テレビ」のテーマソングとして誕生したものです。
「サクラ吹雪の サライの空へ・・・」というサビのところがとってもいいですね。

ちょっと気になって調べてみたら、この「24時間テレビ」の歴史は意外に古く、第1回は昭和53年に始まっているんですね。この間、福祉車両の寄贈や災害救援、海外への支援まで多様な社会貢献をされてきています。これは、全国的なメディアが寄付を募るチャリティイベントとして、多くの国民に寄付の機会を提供してきたものとして貴重だと思います。

日本は、欧米に比べると、寄付の文化が育っていないと言われています。寄付金の総額は、米国の約23兆円に比べ、日本は約7千億円で、わずかに3%程度にすぎないという話も聞いたことがあります。先ごろのスマトラ沖地震への資金支援の際も、日本の寄付金額が少ないことが気になっていました。政府でも、この点に気づいて、寄付に関する税制の見直しを検討し始めたと聞きます。

自治体でも、千葉県市川市が、住民税のうち1%分の使い道を、納税者が選んだNPO(非営利団体)などの支援に充てる「1%支援制度」を始めています。この制度は、ハンガリーの「パーセント法」がモデルになっていると聞きます。制度的にはいろいろな課題もあるようですが、こうした制度も市民によるNPOへの寄付に対する意識を高める上では、有効なものだと思います。

最近では、インターネットを通じてNPOへの寄付ができる「オンライン寄付」のサイトもできてきています。
NPOが公共サービスを担っていく社会では寄付は不可欠な資金資源です。
寄付は、市民が市民を支える「共助」の社会では不可欠の文化だと思います。

それからもうひとつ、政治家や政党への寄付も健全な民主政治を育てるのにとても重要なのです。日本では、政治献金は特殊なもので腐敗につながるというイメージがありますが、欧米では、自分の支持する政治家や政党にさかんに個人献金が行われています。どんな政治活動にも、最低限のお金がかかります。それを一部の組織や資産家に頼ると、必ず政治が曲がっていきます。市民の浄財やカンパによって、はじめて市民本位の政治が実現できるのです。

市民の寄付が社会や政治を育てるということでしょう。

12月 9, 2005 政治改革, NPO・ボランティア | | コメント (61) |

2005年9月16日 (金)

選挙が変わった日

9月11日、これは世界中が忘れることのできない日です。2001年のニューヨークなどでの同時多発テロを思い出します。私も、犠牲者の冥福を毎年祈っています。

さて、これに加えて、今回の衆議院総選挙によって、2005年9月11日は、日本の政治史に残る日となりました。自民党の歴史的大勝という結果に終わったわけですが、私は、今回の総選挙を見ていて、「選挙が変わった」という印象を持ちました。

これまでの選挙は、組織基盤や選挙資金などが豊かな候補者や政党が勝つというのが常識でした。しかし、今回の総選挙では、各党が政策を前面に打ち立てて、選挙を戦ったと言えます。もちろん、政策の中味の論議が十分ではなかったことは事実です。あるいは、政策の中味以前に、政策課題の設定の争いであったとか、政策イメージの争いに終始したという見方もできます。

とはいえ、少なくとも、選挙の勝敗が、組織や金の有無から、「政策」へとシフトした傾向は明らかでした。これからは、「よい政策」と「よいリーダー」、そして「国民からの期待」という3拍子が揃えば、お金や組織がなくても、政権は取れるという可能性が示されたのだと思います。

今回は、ある意味では、ドミノ倒しのような選挙結果となりましたが、まさに小選挙区制のもとでは、こうしたドラスティックな動きはありうることで、条件さえ揃えば、今後、この逆のパターンもありうると思います。これから、各政党には、政策とリーダーシップ、そして国民からの期待の3点において、切磋琢磨して、ぜひとも日本の民主政治を進化させて欲しいと願っています。

また、今後は、各政党はポピュリズム(大衆迎合主義)に流れることなく、より政策の中味の議論をきちっと有権者に示すことが求められます。政党相互が、身のある政策論議、政策ディベートを堂々と国民の前で展開してもらいたいものです。そうした制度的な仕組みも必要となるでしょう。

あるいは、マスコミ、特にテレビの皆さんにも、政党の責任者同士が、わいわいがやがやと声を荒げるような「演出」をねらうのではなく、きちんと政策の違いを議論し、政策の中味を国民に理解してもらえるような紙面や番組構成を期待したいと思います。

そして、何よりも有権者の一人ひとりが、政策を吟味する「眼力」を養っておくことが肝心だと思うのです。日本の教育では、いわゆる「民主主義教育」「政治教育」が十分行われていません。「主権者」としての自覚、あるいは「主権者」としての知識や技術を身につけるような教育が、小学校から大学に至るまで行われてきていないのです。この点は、今後、大いに改善する余地があると考えています。

さて、そうした意味からは、政権を取った政党が示した「マニフェスト」が、今後、どのように実現されていくか、その進捗の動向を、きちっと国民が追跡し続けることが重要です。野党の立場の政党もしっかりとマニフェストの推移をチェックする必要があることは言うまでもありません。マスコミにもその役割が期待されます。

さらに、前回の「マニフェスト」については、政権党としての「自己評価」や「進捗状況の情報公開」がきちんと行われてきませんでした。今回の「マニフェスト」については、ぜひとも、政権党としての「自己評価」や「進捗状況の情報公開」を行うことを期待したいと思います。これはマニフェストを掲げた政党の責任であります。

最後に、選挙が政策中心の選挙に変わってきたということは、国政のみならず、地方選挙においてもこの変化は同様です。私自身も、マニフェストで掲げた政策の実現に向けて最大限の努力を続けていきます。同時に、マニフェストの進捗の情報公開や評価も、引き続き有権者の皆様に完全にオープンにしていきます。

9月11日、日本の選挙が政策中心の選挙に、また、一歩踏み出した日として記憶にとどめたいと思います。

9月 16, 2005 政治改革 | | コメント (103) |

2005年9月 8日 (木)

選挙に行こう!!

いよいよ日曜日には衆議院総選挙がやってきます。
皆さんは、どの候補者に投票するか、どの政党に政権を任せるか、もう決めましたか。
私ももちろん行きます。

それにしても、選挙の際に、いつも気になるのは、投票率の低下です。
国政選挙でも、地方選挙でも、若干の変動はあるものの、「右肩下がり」の傾向が続いています。その中でも、若年層の投票率が著しく低下しています。都市部と地方を比べると、都市部の若者の投票率が低くなっています。

2004年9月8日、ローカル・マニフェストの運動を始めるに当たって、5人の知事らの連盟で、「さらばお任せ政治!」という共同アピールを出しました。
「お任せ政治」とは、有権者が政治家に対して、政治を「白紙委任」をすることを意味します。さらに、政治家が官僚に「丸投げ」だったのが、これまでの日本の政治の実情だったのです。

「丸投げ」する政治家も悪いのですが、やはりおおもとは有権者の「無関心」に問題があります。選挙は、有権者が権利を行使し、主権者としての責務を果たす機会に他なりません。選挙にも行かないで、「今の政治は困る」なんて言えないはずです。

今回の選挙は、この国の方向を決める分かれ道になるでしょう。そうした選択肢がマニフェストによって提示されています。マスコミも連日、マニフェストに書かれた政策や方針の比較を特集しています。

一方で、「劇場型選挙」などとも呼ばれています。言葉を変えれば「政局選挙」であり、「演出された選挙」とも言えます。関心を持ってもらうという意味では、すべてを否定しませんが、やはり、有権者には、しっかりと「政策」によって選択をしてもらいたいと、私は思います。

あくまで選挙の「主役」は、主権者である国民、県民です。
最近は、期日前投票もできるようになっています。9月11日の前でも、投票が可能ですから、ぜひとも、投票に行きましょう。特に、若者の皆さん、ぜひ、ご自分の「一票」で、日本を動かしてください。

9月 8, 2005 政治改革 | | コメント (112) |

2005年9月 2日 (金)

政権選択

今週火曜日・8月30日に、第44回衆議院議員選挙が公示され、「政権選択」をかけた熱い戦いが始まりました。

私は、衆議院議員時代、ずっと追い求めてきた政治の理想像があります。「二大政党制」の実現です。1993年、折りしも「新党ブーム」の時、私は国会へとのぼることができました。その後、いくつかの政党を立ち上げ、最後に立ち上げたのが民主党でした。めまぐるしい政治状況にあって、一貫して「政治改革」と並んで「二大政党制」は私の大きな目標であります。

今、私は、知事として、どの党がいいとか、悪いとかを言うつもりはありません。
ポイントは、「選択のできる政治」であります。主権者たる国民が、「この先数年、どの政党に政権を任せてみようか」と考え、複数ある選択肢の中から、政権を選択する。これが、まっとうな民主政治の姿です。ところが、長いこと、日本の政治では、そうした選択肢が実質的に提示されてこなかった。野党が頼りなかったのです。

だからこそ、政権を任せることのできるしっかりした政党を作り出し、「これか、あれか」という選択肢を選挙の時に示す必要があると考えたのです。

その上で、マニフェストによって、従来の「地盤、看板、カバン」による選挙ではなく、「政策」による政権選択を、国民に可能にする。民主主義の当たり前の姿が、戦後60年を経て、ようやくこの国に実現しようとしているのだと思います。

マニフェストは、政策の情報公開です。政権を取った政党は、国民から、その実績をきっちりと問われるのは当然です。これを「マニフェスト・サイクル」と呼びますが、その中でも重要なのはマニフェストの「評価」「検証」であります。評価で重要な役割を果たすのが、シンクタンクやNPOなどによる「第三者評価」です。

先週8月26日に、21世紀臨調が主催した「政権公約検証緊急大会」が開かれ、民間6団体による、与党マニフェストの達成度の検証結果が発表されました。今回の民間6団体による検証では、31点から70点まで、評価の開きはありましたが、それぞれの団体が設定した基準に基づいてマニフェストの評価を行ったことは、国民の選択を支援する参考情報として大切な役割を果たすものと考えます。

私も、私自身のマニフェストの進捗評価を毎年行い、公表していますし、NPOの皆さんなどから第三者評価も実施してもらっています。

「二大政党制」と「マニフェスト」によって、政策に基づく、政権の選択が可能になるのです。今回の総選挙は、国政を官僚主導から政治主導、つまり国民主導に転換する好機だと思います。

戦後60年の節目に、将来の日本をどのような方向に向かわせるのがよいのか、政党が掲げる政策をぜひ注視して、国民一人ひとりに賢明な「選択」を望みたいと思います。

9月 2, 2005 政治改革 | | コメント (106) |