2008年6月12日 (木)

「未来への希望」~ブラジルの先達から学んだこと~

6月1日から8日まで、ブラジルのサンパウロ州とリオデジャネイロ州を訪問してきました。日本移民100周年を記念する式典への出席を中心に、現地の神奈川県人会の皆さんとの交流、州政府や経済団体訪問などが主な目的です。

ブラジルへの日本人移民は、明治41(1908)年に神戸港から出航した笠戸丸に乗り組んだ日本人移住者781名がその始まりです。それから今年平成20(2008)年で100年。ブラジル移住者の子孫は、現在では150万人を擁するとも言われる世界最大の日系社会を築いています。現在、ブラジルは新興の工業国として目覚しい発展を遂げています。多様な文化を持った人々が世界中から集まり、共生するブラジル社会のあり方も注目に値するものです。このブラジルにおいて、日系人の皆さんは長年の努力の積み重ねによって、社会的信用を得て、尊敬を集める存在となっています。

今回の訪問では、まず開拓先没者の慰霊碑に花を供え、その後、移民資料館、開拓農場などを訪問し、また、実際に現地で開拓や事業に携わってきた神奈川からの移住者の皆様から直接お話を聞くことができました。その中で、ブラジル日本移民百周年記念協会会長である上原幸啓氏(サンパウロ大学名誉教授)の「日系人のブラジルへの貢献は、技術だけではない。倫理と道徳を持ってきたことだ。」「私たちは、子どもに日本人の顔を汚すなと言って育てている。」という言葉には含蓄がありました。
県人会の式典で、ブラジルを公演訪問中の「かみしばいアンサンブルよこはま」の原和子さんと大泉ひろ子さんが、横浜の昔話を題材にした紙芝居を上演してくれました。紙芝居の後で、お二人の指揮と伴奏で「うさぎ追いし、かの山・・・」と『ふるさと』を皆で合唱しました。思い出すのは、目頭を押さえながら謳っている先輩の姿です。
私は、日本人の先輩たちが夢と志を抱いて、遠く地球の反対側の未開の大地を目指した勇気と決意に敬意を表します。これまで幾多の困難と挫折を乗り越え、現在の繁栄と成功をつかむまでに、どれほどの苦労と努力を重ねてこられたことか。さまざまな体験を語っていただいた皆さんの顔に刻まれた皺の中に、誇り高い日本人の魂を見たような思いです。

しかし、ブラジルから帰国してすぐに、本当に残念なニュースに出会わなければなりませんでした。東京の秋葉原で通り魔事件が起き、7人もの人の命が奪われ、10人の重軽傷者を出したというのです。亡くなった皆様のご冥福をお祈りするとともに、怪我をなさった皆様の一日も早い回復を祈っています。
日本では、最近、こうした無差別の通り魔事件が相次いでいます。ある識者が、「こうした犯人は、一度挫折すると二度と復活ができないような社会の中で、閉塞感を感じ、将来への希望を失っている。」との指摘をしていました。実際には、犯人の心の闇を知る由もありませんが、ブラジルでの日系移住者の皆さんと出会ってきた後だけに、現在の日本人がどこか夢や希望を失っているという指摘には頷かざるを得ません。

目を転じてみれば、アメリカでは民主党の大統領候補指名をめぐる歴史的な激戦を、バラク・オバマ上院議員が制することになりました。敗れたヒラリー・クリントン上院議員は6月7日、選挙戦からの撤退を公式表明するとともに、「オバマ氏を米大統領に当選させよう」とオバマ氏への支持を訴えました。党を二分して戦ってきたオバマ氏に対して、「アメリカンドリームを歩んできた人」と賞賛し、「イエス、ウィ、キャン」というオバマ陣営のスローガンで締めくくったこの演説は、素晴らしいものでした。
二人の指名争いは、当初から注目していましたが、片や初の黒人大統領、片や初の女性大統領をめざした二人の「夢の競演」であったということができるでしょう。一年近くも続いた指名争いでありましたが、候補者も有権者も、それに関わることによって大きく成長するのです。これこそがアメリカの選挙のダイナミズムなのです。

ヴィクトール・E・フランクルは、ナチスの強制収容所の経験を綴った著書『夜と霧』で、極限状況の中でも「未来への希望」があれば人間らしく生きられることを語っています。
厳しい開拓の歴史を乗り切ってきたブラジルの先輩たちも、「未来への希望」を頼りに苦難に耐えてきたのだと思います。

私は、改めて、政治家として、ひとりの日本人として、「未来への希望」を臆することなく描き、語っていこうと思います。理想主義とか、楽観主義という人もいますが、そうした希望をつむぎ出すことこそが、本当の政治の役割だと信じています。

6月 12, 2008 安全・防災, 経済・政治・国際 | | コメント (68)

2006年3月13日 (月)

チャレンジできる社会を

オリンピック冬季大会が、2月10日から26日まで、イタリアのトリノで開催されました。朝はさすがに時間がなかったので、ニュースやビデオで演技や熱戦を見せていただきました。フィギアスケートでの荒川静香選手の金メダルには本当に感激しました。荒川選手は、神奈川県の鎌倉出身とうかがっています。4位入賞の村主章枝選手も、同じく鎌倉の清泉女学院の卒業生です。本当に皆さん、おめでとうございました。メダルには手が届かなかった皆さんは残念ではありましたが、選手皆さんのお一人おひとりの真剣な姿には、勝ち負けを越えたすがすがしさと感動を覚えました。試合が終われば「ノーサイド」、まさにオリンピックは参加することに意義ありです。すべての選手皆さんに、「お疲れ様でした」とねぎらいたいと思います。

さて、話は変わりますが、日本では「勝ち組、負け組」という言葉に加えて、最近では「下流階級」「下流社会」などという言葉まで聞かれるようになってきました。日本では社会の階層分化が指摘され、これまで「一億総中流」と言われてきた社会が急速に変貌しつつあるといわれています。国会でも、所得格差等の統計資料の解釈などをめぐって論戦が行われています。

私は、「官から民へ」「中央から地方へ」といった構造改革は徹底して進めるべきだと考えています。日本は、80年代以降こうした改革を中途半端にしか進めて来なかった結果、経済や社会の停滞を招いてきたと考えるからです。
右肩上がりの成長路線を前提とした「護送船団方式」の「官主導」の経済・社会運営は、既にその「前提」が崩れ去っているのです。民間の持つ自由で創造的な活動によって、経済社会の生き生きとした活力を取り戻すことができるのです。とはいえ、民営化や市場化を進める中では、「痛み」を伴うことも確かです。極端な格差拡大を回避する方策も必要でしょうし、社会的な痛みを受けた人々へのケアにも心を尽くすべきでしょう。

構造改革の次に来る社会「ポスト構造改革」は、「誰もが自信をもってチャレンジできる社会」であるべきと、私は考えています。誰もが意欲と希望をもってチャレンジできるためには、失敗を恐れてはなりません。何度でも「捲土重来(けんどちょうらい)」できる、「七転び八起き」のできる社会が求められるでしょう。そのための社会的な仕組みとして、「セーフティーネット(安全網)」はきちっと用意されている必要があります。

以前、聞いた話ですが、サーカスの空中ブランコで張られている「セーフティーネット」は、演技者の落下を想定してではなく、むしろ、演技者の「心理的な支え」なのだといいます。自信を持ってチャレンジできるからこそ、思い切った大胆な演技が生まれるのだというのです。

「Take a risk !」とは、アメリカの家庭や学校で、「やってみようか、どうしようか」と子どもが迷っている場面で、「いちかばちかやってみなさい」という励ましの言葉です。日本語で言えば、「火中の栗を拾ってみなさい」といったところでしょうか。仮に失敗しても、チャレンジしたこと自体をほめたたえるのです。
日本社会では、子どもだけではなく、若者も社会人にも「Take a risk !」のチャレンジ精神が、だいぶ弱くなっているようにも思えます。
日本社会もチャレンジのできる社会をめざしたいものです。

3月 13, 2006 経済・政治・国際 | | コメント (206) |